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改めて、南大夕張の駅構内や車両のご案内である。 この路線はディーゼルカーを導入することなく、最後まで機関車が客車を牽引するシステムをとっていた。 |
南大夕張駅の駅舎は、ホームよりも一段高いところにあった。三菱のマークが誇らしげ。 ここの待合室で、"商売熱心"な社員(駅員?)が私を待ち構えていた。 |
これは、車掌室のついた当線オリジナル客車ナハフ1。窓の配置が3-3-2-2-3-3となっており、見るからに古典的な香りがただよう。 |
行先表示板。いわゆる「サボ」(サイドボードの略)というやつである。 |
スハニ6の3軸ボギー台車。これに乗ると、「ガタン、ゴトン」ではなく、「ガタタン、ゴトトン」という音がするのだ。 「レイルNo.21 私鉄紀行 北線路(上)」(湯口徹/プレスアイゼンバーン)によれば、元・国鉄のスハニ19114を鋼体化したものだそうだ。 |
南大夕張駅の駅舎の中には、廃車となった蒸気機関車のプレートが飾られていた。 これが走っているときに来たかったなあ……。 |
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南大夕張の待合室でぼんやりとナンバープレートなぞを見ていると、社員(駅員?)らしき人がやってきて、レールの文鎮を買わないかという。 だが、値段も高めでしかも重い。学生の貧乏旅行の上に、まだ旅ははじまったばかりなので丁重にお断りしたところ、じゃあ古い切符(硬券)なら安く売るよという。 こちらのほうは、ずいぶん安くてしかも軽いので喜んでいただくことにした。約20枚を200円くらいで買ったような気がする。まわりにいたほかの社員たちは、「○○さんは商売熱心なんだから」などと、笑いながら私たちのやりとりを見ていたっけ。 さて、南大夕張の炭鉱はその後も優秀な石炭を産出しつづけ、しかも新鉱が開発されたというニュースも入ってきた。これなら、当分の間は炭鉱も鉄道も安泰かなと思っていたところ、たてつづけに爆発事故が発生する。もちろん、全国ニュースでも大きく取り上げられたことを覚えている。 海外からの安価な石炭の輸入が続くなか、この事故が致命的となったようで、南大夕張炭鉱は廃坑が決定する。そして大夕張鉄道も1987年7月に廃止となってしまったのである。 かつては、北海道のあちこちにあった炭鉱鉄道であるが、残念ながらそのほとんどを見ることはできなかった。それでも、ほんのわずかな時間とはいえ、この鉄道を見て乗車したことは貴重な経験であった。いま思えば、もっと時間をかけてじっくりと味わうべきだったけどね。 |
南大夕張駅で商売熱心な社員から買った古切符のうち3枚。 |
当日記念に購入した車内補充券 |
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