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大甕駅で発車を待つ鮎川行モハ11(右)とモハ1003?(左) 高校1年生の撮影とは思えない渋い構図である。 1972.8 |
---- 日立製作所の「城下町」を走る私鉄 ---- 日立電鉄は、常磐線の難読駅・大甕(おおみか)を中心にして、西方向に黄門さまこと水戸光圀の隠居先である西山荘のある太田町、北方向には日立製作所の工場沿いに鮎川までを走る18.1キロの電化私鉄だった。 ここには何回か訪れたのだが、最初の2回はあいにくの天気で、駅間での走行写真は断念。駅近くで安直な写真を撮るに終始した。それが、今回の写真である。 その後、東京の営団地下鉄銀座線の車両を導入して、一気に体質の改善を図ったのだが、乗客の減少を抑えることはできず、とうとう2005年に廃止となってしまった。 訪問:1972年8月、1977年8月、 |
大 甕 |
すでにワンマン運転が開始。鮎川行きの発車間際に、1人の男性が電車に駆け込んできた。 電車は、ワンマン改造後のモハ10。 1977.8
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大甕駅のホームの山側には、いつもたくさんの電車が留置されていた。 これは、トップの写真のモハ11とともに、もともと東京の営団地下鉄銀座線用として設計・製造されたモハ12。 以前は注文流れという説が有力だったが、『日立電鉄の75年』(ネコ・パブリッシング)によれば、日立製作所が地下鉄用に作っておきながら、車両を必要としていた子会社(つまり日立電鉄)に先にまわしてしまったんだとか。それじゃ、契約不履行では…。 1972.8
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こちらは常北太田行きのモハ9。 写真右手のホームは常磐線。 1977.8
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大甕駅構内に留置されていた買収国電モハ1302。 旧宇部鉄道の車両で、国鉄に買収された後、富山港線などを経て日立電鉄にやってきたのだそうだ。 1977.8
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久慈浜 |
廃止直前には無人駅となってしまったが、以前の久慈浜駅は、駅員がいて車庫もある賑わいのある駅だった。 1977.8
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久慈浜駅を発車して、常北太田に向かう。 1977.8
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