名鉄岐阜市内線
▲終点の岐阜駅前に停車中の長良北町行き。このころは、駅前のビルに繊維関係の会社や店が山ほど入居していた。車両は、北陸鉄道金沢市内線からやってきたモ550。後ろには折り返しを待つモ504。
1978/08
---- 岐阜市の中心部と郊外路線を結ぶ先進的な試み -----
岐阜市内線は、岐阜駅前~忠節と徹明町~長良北町の2路線があったが、後者は1988年に廃止となって乗り損ねてしまった。
残る岐阜駅前~忠節の区間の路線は3kmあまりと短かったが、忠節から揖斐線に直通運転が行われており、市の中心部と郊外を軌道と鉄道で結ぶという先進的な試みがなされていた。
訪問:1978年8月、 1990年12月、2001年9月、2004年5月
▲千手堂~本郷町の忠節橋通りを走るモ556。金沢市内線からやってきたモ550形は、面長の前面スタイルが特徴。
1990/12
▲早田~忠節を走る574号車。奥の交差点の左に忠節駅があり、カーブを曲がって忠節橋通りに出てきたところ。
1990/12
▲忠節駅に到着した554号車。揖斐・谷汲線に直通しない軌道用車両は、ここで折り返す。
1990/12
▲新岐阜駅前付近を走る572号車。
2001/09
▲572号車の車内。
2001/09
▲忠節に到着して折り返しを待つ572号車。この年の10月のダイヤ改正では、日中の忠節折り返しがなくなり、ほとんどが揖斐線直通となった。
2001/09
▲忠節駅を発車して忠節橋通りに入り、新岐阜駅前に向かうモ770形。揖斐の黒野から直通してきた車両だ。
2001/09
▲忠節駅に向かう車両とすれ違い。i-mode搭載の携帯電話の広告が懐かしい。
2001/09
▲新岐阜駅前付近を走るモ780形、784号車。すでに揖斐・谷汲線の黒野以遠は2001年に廃止されており、この翌年に残る区間も廃止となった。
2004/05
現在のLRTの先駆ともいえる名鉄の路面電車だったが、岐阜市も岐阜県警も路面電車に対する理解がなく、路面電車を邪魔者扱いするばかりだった。安全地帯の設置も岐阜駅前のみで危険このうえなく、他の都市では当たり前となった路面電車優先信号を導入するどころか、軌道敷への自家用車乗り入れを認めたために運行は遅れがちとなり、乗客離れが進んだ。
結局、市内線とそれに接続する揖斐線、谷汲線、美濃町線も次々に短縮や廃止が進み、2005年には全線が廃止となってしまった。
2026年11月公開
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