モリーゼ州というと、内陸の山がちの州で交通が不便というイメージが強いが、そのなかで唯一海岸に位置する大きな町として、イタリア鉄道の幹線が通るのがテルモリだ。
モリーゼ州ではカンポバッソに次ぐ2番目の人口を誇る……といっても3万人あまりの小さな都市である。しかも、海に突き出した旧市街はせいぜい200m四方で、本当に小さい。だが、その小さな旧市街に美しい真珠のような町並みが広がっているのだ。
トップの写真がその旧市街である。右端に見えるのが11世紀に立てられたノルマン式の城。神聖ローマ皇帝にしてシチリア王でもあり、生まれてきたのが早すぎた天才と呼ばれた、かのフェデリーコ2世によって建てられたもので、飾り気がない代わりに現代的な機能美を感じさせる。
その写真の左端の海上に見えるのが、モリーゼやアブルッツォで見られる木でできた漁師小屋だ。トラボッコまたはトラブッコと呼ばれ、近代になって中東から伝わったものといわれており、悪天候でも漁ができるためにアドリア海沿岸で広く使われたという。ここでは、観光用に保存されていた。
海の交通の要衝として栄えたテルモリは、6世紀にゲルマン系のランゴバルド人が戦略的拠点として城壁、塔、銃眼付き砲塔などで防御を固めたことが、現在のような堅固な旧市街のもととなったようだ。
第二次世界大戦ではドイツ軍に占領され、1943年10月にフォッジャから上陸した連合宮とドイツ軍がテルモリの鉄道駅付近で激しい戦闘を繰り広げたという。駅は爆破され、4日間の戦闘で民間人18人も犠牲となったのだそうだ。
そんな歴史が隠されたテルモリだが、戦後すぐから海岸のリゾート地として観光業が発達したという。旧市街の周囲の海岸は砂浜になっており、夏には海水浴客のパラソルがぎっしりと林立する。旧市街の先端にある港からは、沖合に浮かぶトレーミティ諸島に向かう船も出ている。
イタリア北部からテルモリを訪れるには、バーリまで飛行機で飛んでから、列車で北上するのがいいかもしれないが、せっかくなのでアドリア海沿いを南下する急行列車に乗車することにした。
左側の車窓に展開される海辺の風景にいいかげん飽きたころ、ようやくテルモリに到着した。駅の周辺は整然とした新市街が広がっているが、10分ほど歩くと立派な城壁が見えてくる。
宿はドゥオーモの真ん前にある小さな旅行者用アパートだった。窓から顔を出すと、草花に彩られた家々の向こうに、陽光を浴びたかわいらしいドゥオーモが見える。
観光シーズンを過ぎていたからか、観光客の姿は少なく、そのほとんどは日が暮れる前に町を去っていったようだ。もしかると、新市街のほうに泊まっていたのかもしれない。
9月下旬ともなるとイタリアの天気は変わりやすくなる。前日までは大雨だったとのことで、この日も一天にわかにかき曇って雨が降ったかと思うと、しばらくして日が差してくるということの繰り返しだった。
海の幸のおいしい店が何軒もあると聞いていたので、夕食に適当に選んだのが「Osteria Dentro Le Mura」(オステリーア・デントロ・レ・ムーラ)という店。「城壁内の食堂」といった意味だ。手軽な店かと思って入ったら、肩肘張ったところはないものの、意外にもおしゃれでシックな内装だった。
前菜に頼んだ海の幸の盛り合わせは、上の写真のようにずらりと生のものが並ぶ。生のシャコや二枚貝なんて大丈夫かと一瞬思ったが、非常に新鮮で美味だった。
食後に話を聞くと、40代と見えるシェフは、食をテーマにした2015年のミラノ万博イタリア館で料理を作ったとのこと。毎年夏になると、東京で店を営んでいる日本人シェフが遊びに来て、お互いに料理の技を磨くのだといっていた。
スローフードをテーマにしている店で、隠れ家的な高級感もあったが、値段はリーズナブルで非常に満足したのであった。