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イタリア町めぐり

ラグーザ・イブラの全景 2007年11月 地図


 ラグーザ(Ragusa)の町に興味を抱いたのは、1985年にタヴィアーニ兄弟の監督による映画『カオス・シチリア物語』を見たときのことだった。名前の通り、シチリアを舞台とした幻想的・寓話的な映画で、原作は劇作家・小説家としても名高いルイージ・ピランデッロ。彼の短編集をもとにした数編のオムニバス形式になっていた。

 そのなかの一編に登場したのが、ラグーザにあるサン・ジョルジョ大聖堂である。それまで知っていたイタリアの教会とは違って、どこかスペインの教会を感じさせた。話の筋書きは忘れてしまったが、主人公が、その教会の手前の階段にやってきて座り込んでいたシーンが記憶に残っている。
 どちらかというと、ときには近寄りがたいほどの荘厳さや厳格さを感じさせるルネサンスやゴシックの教会とは違って、どこか人間臭くてもったりとしたイメージが印象的だった。


ラグーザ・スペリオーレからラグーザ・イブラに入ったところにある広場。バックはスペリオーレの家並み。

2007.11

ラグーザ・イブラの入口


 それまでも、ラグーザの名前は聞いたことがあったが、なんだかシチリアの奥深くあるように思えて、あまりイメージがわかなかったのである。だが、この映画を見て、いっぺんにラグーザが私の憧れの町の一つとなった。

 そうそう、つい最近まで『カオス・シチリア物語』とは、文化的にもごちゃごちゃしたシチリアのカオス的な状態を描いた物語という意味だと思っていたが、そうではなかった。なんと、アグリジェント郊外にあるピランデッロの出身地Kaos(Caos)に由来しているのであった。誰にも言わなくてよかった。

 さて、それまでシチリアには何度か足を運んだことがあったのだが、ラグーザを訪れたのは2007年の晩秋になってからのことである。あまりに期待が大きすぎると、実物を見たときにがっかりするものだが、このラグーザはそうではなかった。それどころか、思っていたよりもさらに神秘的で、豪快で、印象的な町だった。


バロックの建物

バロック様式の邸宅。スペリオーレの東端、イブラに続く坂道の途中にある。

2007.11



 ラグーザの最大の見どころといえば、東側にまるで島のように孤立した丘の上にあるラグーザ・イブラ(Ibla)の町並みだろう。ヴァル・ディ・ノート(Val di Noto = ノート谷)と呼ばれるこの一帯を襲った17世紀末の大地震によって、ラグーザをはじめとする周辺の町々は壊滅的な打撃を被ったが、イブラ地区は奇跡的に大きな被害を免れたという。そのために、今でも曲がりくねった細道や入り組んだ路地が健在である。

 一方、17世紀の地震後につくられたのが現在の市街地にあたるラグーザ・スペリオーレ(上ラグーザ)である。これに対して、イブラのほうはラグーサ・インフェリオーレ(下ラグーザ)とも呼ばれている。
 地震が起きたのはバロック末期のころ。そのために、再建されたヴァル・ディ・ノートの町々は、ごてごてとした装飾が特徴のバロック様式の建物でいっぱいになったというわけだ。


自動車の通行が比較的少ないイブラの路地は、もちろんネコが幅を利かせている。もっとも、ほかのシチリアの町と同様、人間に対する警戒は怠りない様子だ。

2007.11

ラグーザ・イブラの猫


 じつは、ラグーザとその隣町モディカの滞在中に、3回もイブラに足を運んでしまった。初日は到着した日の夕方──このときは小雨模様だったが、翌29日の午前中は幸いにも晴れ。それでイブラともお別れかと思っていたら、3度目があった。隣町のモディカ宿泊中に、ラグーザでのバスの乗り換えに失敗して、2時間後のバスを待つ間にイブラまで足を伸ばしたのである。

 私としては、同じ場所に繰り返して足を運ぶことは少ないのだが、何度見てもイブラは飽きなかった。スペリオーレからイブラ全体を眺めることのできる有名な地点(トップの写真)では、何時間でもずっとそのまま座っていられるような気がしたほどである。

 そして、イブラの細道を通り抜けた先に、あのサン・ジョルジョ大聖堂の偉容があった。幸運にも、修復工事が終わった直後だったとのこと。もう少し来るのが早かったら、シートや足場に覆われていて、対面の感激もかなり割り引かれていたかもしれない。


サン・ジョルジョ教会

イブラのドゥオーモ、サン・ジョルジョ教会。長期間の修復が終わって、全貌を現していた。

2007.11



 おもしろいことに、日本に帰ってきて写真で見ると、晴れた日よりも曇ったときのほうがイブラらしさが感じられるような気がした。シチリアといえば、抜けるような青空が似合いそうだが、ここラグーザに限っては例外だった。もしかしたら、晴れた日に、シチリアの直射日光を脳天に受けながら、息を切らせて急な坂道と階段を昇り降りしたのがトラウマになっているのかもしれないが。

 ラグーザの人とのやりとりもまた楽しかった。旅行前は、シチリアの奥にある古い町ということで、頑固でとっつきにくい人びとを想像したのだが、それは杞憂に終わった。
 20代後半のバールの店主と、そこの若い常連たちは日本のことをよく知っていた。店主の婚約者であるスペイン人女性は、「日本人は世界一頭がいいよね。それに引き換えラグーザ人は世界一バカだ!」と言い放って大爆笑を誘っていた。私は、「日本人でも、頭がいいか悪いかは人による」と常識的で無難な返事をしておいた。
 滞在中、スペリオーレのバスターミナルで何度も会った60代とおぼしきおじさんは、「俺たちは市内バスが無料だからね。こうやって、町をいつもまわっているんだよ。いい町だろう」と言っていた。
最後の写真は、そのおじさんと一緒に市内バスで町を一周したときに、車窓から見た光景である。


ラグーザ・スペリオーレの町
▲スペリオーレにあるポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)を南側から見たところ。
2007.11
▼イブラから眺めたスペリオーレ。丘の上に、家々がひしめきあっている。
2007.11
ラグーザ・イブラから見たラグーザ・スペリオーレ


 なかでも一番印象に残っているのは、ホテルのフロントの男性である。チェックインの際に、私がイタリア語で話しているにもかかわらず、英語でこう問いかけてきた。
「ドゥ ユー ハヴァ カール?」
 カールを持っているかという質問だとはわかったが、カールが何かわからない。はたして英語なのかイタリア語なのか。もう一度言ってもらうことにした。
「ソーリー?」
「カール?」
 まさか、♪それにつけてもおやつは……のあのお菓子のことではないだろうが、予断は許さない。
「んー? スクージ?」
「カール」
 そんなやりとりが続いて、ついに私は降参した。
「うー、イタリア語で言ってみて!」
 すると、彼はこう言ったのだ。
「アヴェーテ ラ マッキナ?」
 どうやら、車で来たのかどうか尋ねていたらしい。カールは「CAR」だったのだ。ただでさえ、イギリス英語は「R」が強めなところにきて、イタリア語風にさらに強調するものだから、わからなかったのだ。
 聞き取りに関しては、英語よりもイタリア語のほうが楽だと再認識した経験であった。


●所在地
シチリア州ラグーザ県(県都)
●公共交通での行き方
・シラクーザからイタリア鉄道の列車で2時間(1日数往復)。長距離バスで3時間(毎時1本ほど)。
・カターニア(カターニャ)空港からはバスでモディカ乗り換えが便利。
●見どころ
・16世紀の大地震の被害を免れたラグーザ・イブラの雰囲気。
・大地震後に建てられたバロック建築の数々。
・渓谷をはさんで、丘の上につくられた町並みや家並み。

●老婆心ながら
列車は本数が少なくてやや不便。バスターミナルの位置は、古いガイドブックでは鉄道駅の前と記されているが、現在はそこから2kmほど西のVia Zama(ザマ通り)にある。市内のバスもそこを経由している。
ラグーザ全景 渓谷の対岸から見たラグーザ・イブラ(右~中央)とラグーザ・スペリオーレ(左)。 2007.11
2013年5月作成

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