トスカーナ州というと、誰もが思い浮かべるのは、フィレンツェやシエナ、ピサといった有名な観光地だろう。だが、同じトスカーナ州にあっても、ローマの北方に位置し、ティレニア海に面したマレンマ地方は、観光客にそれほど知名度が高くない。 |
旧市街の中心には、ピサ・ロマネスク様式の堂々たるドゥオーモが建っている。前夜の雨のおかげで丘の上の町は、空気が澄んでいるように感じられた。 2011.3 |
ガリバルディ広場。ドゥオーモの階段の上から撮影した。この広場から、町のあちこちに細い道が放射状に出ている。 2011.3 |
辞書を引き引き調べた結果によれば、Massaというのは、もともと「農場」「農園」という意味の古語であるMansiに由来しているという。そんな平凡な名前だから、ほかにもMassaという町が数多くあった。そこで、ほかと区別するために、「海のマッサ」ということで「Massa Marittima」と名付けたのだという。 |
▲飲食店や商店が建ち並ぶカブール通り。 2011.3 |
▼新市街から階段を下り、旧市街の中心部に続くモンチーニ通り。 2011.3 |
私がマッサ・マリッティマを訪れたのは、2011年3月1日のこと。そう、あの東日本大震災の10日前である。日本に帰ったのは5日。3月11日当日は、このときの旅で引いた風邪が治りきらず、午後になっても東京の自宅のベッドで寝ていたのであった。高熱とまではいかないが、微熱というにはやや高めの熱があったためか、大きな揺れが起きても、どこか夢うつつ。たまたま隣のビルで取り壊し工事をしていたので、最初はその揺れかと思ったほどである。 |
外郭道路から旧市街への入口の一つ、アッボンダンツァ門(Porta Abbondanza)。 2011.3 |
そんな連想が働くのも、ティレニア海に面したフォッローニカ(Follonica)の駅から、マッサ・マリッティマに向かうタクシーの思い出が深かったからかもしれない。この区間はバスの便が頻繁にあるのだが、いろいろな手違いから列車を乗り間違えたり、バス停を間違えたり、県都グロッセートに行ってしまったりと、自分の調査不足が原因ながら、大雨のなかで散々な目にあってしまったのである。 「日本にも地震が多いようだけど、2年前にはアブルッツォで大きな地震があったんだ」 そんな他愛ないよもやま話だったのだが、10日後に東日本大震災があったことで、忘れる前に脳に刻み込まれてしまった。彼は、日本の地震のニュースを見て、夜遅くマッサ・マリッティマまで乗った日本人の客を思い出しただろうか。 |
丘上都市であるマッサ・マリッティマの周囲には、マレンマ地方の肥沃な平原が広がる。町の南側の門を出ると、すぐにこうした風景が広がっていた。 2011.3 |
さて、肝心のマッサ・マリッティマの町だが、丘の上のキュートな町という印象である。有名なピサ・ロマネスク様式のドゥオーモは、本家ピサの斜塔のそばに立つドゥオーモに似ているが、丘の上に大きな教会だけがすっくと建っているものだから、さらに崇高に感じられる。 |
●所在地 |
町の西部に位置する小さな集落マッサ・ヴェッキアのぶどう畑から、マッサ・マリッティマを見上げる 2011.3 |
2012年9月作成 |
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