ヴァッレダオスタ州の中央部を横切る国道26号線は、この州の大動脈である。
2012年、宿泊していたフランス国境のクールマイヨールから州都アオスタへ、路線バスでこの道路を走っていたときのこと、ほぼ中央部に位置するアルヴィエから、突然バスは旧道に入っていったのである。
それまでの快適な直線の道路とはうってかわって、狭いくねくねした道を大型バスがすり抜けていくのである。そして、車窓に不思議な風景が飛び込んできた。
バスが走る道路から一段低くなった窪地には、古めかしい家々や教会の尖塔が見える。まるで大昔のアルプスのふもとの集落そのままに感じられるのだ。
これを見逃す手はないと、アオスタからの帰り道に下車した。
地名のつづりはLeverogne。見るからにフランス語の地名で、そのままフランス語読みをするなら「ルヴローニュ」、イタリア語読みをするなら「レヴェローニェ」になる。行政区域としては、東側に隣接するアルヴィエ(Arvier)に属している。
すでに廃屋になっていたところもあったが、写真のように丁寧に手入れをしてある家も多かった。外から見ていい感じであるだけでなく、中に入っても素晴らしい村だった。
バックには山々が連なって借景となっている。
だが、こんな静かな村にも、悲しい歴史があったことを知った。
下の写真は、第二次世界大戦中の1944年9月13日に起きた惨劇を、後世に残すために建てられた看板である。
前日のパルチザンによる攻撃の報復として、ナチスドイツ軍とイタリアファシスト軍が、ここを中心とする集落のいくつかを焼き払い、さらにルヴローニュでは事件とは無関係に12人が虐殺されたという。そんなことが、この静かな村であったのかたと思うと、重い気分になる。
中央のモノクロ写真は、その何周年かの催しで撮られたものらしい。
ところで、アオスタとクールマイヨールを結ぶバスは、正確で速いこともあって、地元の人と観光客とでいつも混雑していた。
とはいえ、2012年の旅ではここを3往復、その2年後にもここをバスで1往復したものの、せっかくバスが旧道を経由しているのに、旧道に設置された停留所で乗り降りする人は、一人もいなかった。
採算が合わないということで路線が国道経由になったら、私のように車窓に魅せられていきなり訪問する人間もいなくなることだろう。
村のなかにはバール一つないが、周辺の道路沿いにはホテルやB&Bがある。といっても、日本のガイドブックにはもちろん、イタリアのガイドブックにも乗っていない小さな村である。
盛んに車が行き交う国道のすぐそばで、こんな村がひっそりとたたずんでいるのだ。こんな発見があるから、いつまでたっても町めぐりはやめられない。
そして、列車やバスの中ではおちおち居眠りもできないのである。