町の名前のIglesiasとはスペイン語で教会のこと(スペイン語の発音はイグレシアス)。教会は標準イタリア語ではキエーザ(Chiesa)で、サルデーニャ語ではクレジーア(Cresia)だから、スペイン統治の名残かもしれない。中世には、ラテン語でビラ・エクレシアエ(Vila Ecclesiae/教会の町)と呼ばれていたことに由来するというのが通説である。
イグレジアス駅からポルト・フラーヴィアまで利用したタクシーの運転手によれば、
「この町は教会が多いから、そう呼ばれているんだよ」とのことだ。ちなみに、「レー」にアクセントを置いて、「イグレージアス」と発音されている。
私と妻が宿泊地のカリアリからイグレジアスに向かった第一の目的は、町の中心から10kmほど西の海岸にあるポルト・フラーヴィアで鉱山跡ツアーに参加することだった。ネットで予約したツアーの開始時刻は午前10時だが、現地まで行くバスがないうえに、途中の村(マズーア)まで行くバスも接続が悪い。しかたがないので、イグレジアス駅からタクシーに乗って行ったわけだ。
鉱山の入口はマズーア海岸の海水浴場の先にある。現地まで行ってみたら、駐車場の先2kmはタクシーが入れないという。初めての土地で道もわからぬままにうろうろして、ようやく行く手のはるか先に目的地が見えたときは9時50分。ネットには「開始15分前に集合のこと」と書かれていたので、もうだめだ! と思ったそのとき、後ろから車がやってきた。
恥をしのんで手を上げたところ、10mほど通り過ぎた先で停まってくれた。運転していたのは30代後半と見える女性である。
「ありがとう! 10時から鉱山跡ツアーがはじまるんです!」
私が礼を述べると、その返事に驚いた。
「わかってるわ。私がガイドだから」
15分前に集合というのは有名無実であることがわかった。
「安心して。私が行かなければツアーは開始しないから!」
そりゃそうだ。私たちが受付に到着すると、彼女は窓口のお姉さんに遅刻を笑われていた。私たちはというと、ツアー開始を待つ何人かのイタリア人に「よく間に合ったな」と笑われた。
よく見ると、懸命になって急いでいた私たちを、車で追い抜いていった人たちである。気がついたら乗せてくれればいいのに!
この回のメンバーは約20人。外国人は私たち2人とスペイン人2人だった。ツアーは所要1時間で、坑道を歩きながら説明を受ける。イタリア語と英語で説明できるというが、英語で聞いても難しい用語はわからないだろうから、イタリア語でOKといった。
ところどころには、上の写真のように鉱石運搬用のレールが残っているので、トロッコマニアや廃墟マニアにはうれしい。イタリアでは、よそでも鉱山跡ツアーを見かけるところを見ると、好きな人が多いのだろうか。
「ここでとれていた鉱物は、アルジェントが少しと、ピオンボ、ズィンコ」とガイドさんは語る。アルジェントは銀だと知っているが、ほかの2つがわからない。しばらく考えたすえに、ピンとひらめいた。
「PbとZnか!」
鉛と亜鉛である。そう、元素記号はラテン語がもとになっているから、イタリア語で連想できるのだ。逆にいえば、彼らはあの記号を覚える苦労が、日本人よりもずっとずっと少ないのだとわかった。銀だってAgだしね。
上右の写真は、鉱石の積み出し口である。鉱山跡ツアーは、ここまでの往復である。ツアーが終わったら、この積み出し口の写真を撮りたくて、海水浴客にまじってゴムボートの洞窟ツアーに加わった。ボートには10人が乗り込んだが、普段着はわれわれだけ。長ズボンだったので、乗り込むときと降りるときに、しっかりと水浸しになった。
鉱山跡ツアーのガイドのお姉さんは、さすがに訓練されているのか、きれいな発音ではっきりと話してくれたので、知らない単語以外はよく聞き取れたのだが、ボートの船長である50代くらいの男性のイタリア語は半分もわからなかった。冗談ばかりいっているようなのだが、私たちだけ笑えないのは寂しかった。
サルデーニャ島の海岸というと、世界のセレブが集まる北西部のコスタ・ズメラルダ(エメラルド海岸)が有名だが、南東部のこちらはイタリア人のごく普通の家族が利用する庶民的な場所であった。それにしても、マズーア~ポルト・フラーヴィアは、鉱山跡と海水浴場が渾然一体となった不思議な観光地であった。
イグレジアス郊外にはほかにも数多くの鉱山跡が残っていることからもわかるように、かつては町も大変に賑わっていたらしい。その名残として、町の中心部には鉱山学校跡を使った鉱山博物館があったり、立派な教会があったりするのが興味深い。