アペニン山脈とアドリア海にはさまれたアブルッツォ州には、周囲を山に囲まれてひっそりと息づく魅力的な村々が点在する。ここアンヴェルサ・デッリ・アブルッツィもその一つだ。
アブルッツォのアンヴェルサという名前は、ほかにあるアンヴェルサと区別するためのものと考えられるが、イタリア国内では過去にナポリ付近にあった以外は見当たらない。あえていえば、ペルギーの有名な都市であるアントワープ(アントヴェルペン)のフランス語名がそのようである。だから、Anversaで検索するとアントワープが出てきて最初は戸惑った。
アンヴェルサへは、宿泊地のスルモーナ(Sulmona)から路線バスに向かった。スルモーナには3泊して周辺の丘上都市のいくつかをめぐったが、到着の翌日に向かったのがこことスカンノ(Scanno)である。
マリオ・ジャコメッリの写真で有名になった山間の村スカンノは、近くの湖とも合わせて現在では有名な観光地になっており,ローマから直行のバスも走っているほどだ。
アンヴェルサは、スルモーナからスカンノへ向かう途上にある。アンヴェルサ経由スカンノ行きのバスも、1日に何往復か走っているので、2カ所を1日でまわってしまおうとしたわけだ。
スルモーナからアンヴェルサまでは約30分。町なかには何か所かの停留場があるが、最後に町はずれの一番高い地点で降りた。トップの写真を撮った場所である。ここを過ぎると、しばらくはスカンノに向けて断崖絶壁に沿って走っていく。
旧市街は、車も入れない狭い坂道がくねくねと続いている。それでも、家々がよく手入れされていて、壁も窓もきれいなのが印象的だった。次のスカンノ行きのバスまでは1時間50分あったので、隅から隅まで歩くことにした。
1905年、この村には、イタリア愛国詩人として知られるガブリエーレ・ダンヌンツィオが訪れている。イタリア国内では知らない人がいない文学者であり、かなり行動的でときにエキセントリックな愛国者であった。日本の三島由紀夫によくなぞらえる。
そのダンヌンツィオは、村内に残るノルマン城の廃墟とサングロ家の衰退の物語に心を動かされ、"La fiaccola sotto il moggio"という悲劇を書いたのだそうだ。
そんな縁があって、1997年にアンヴェルサ村内にガブリエーレダヌンツィオ文学公園がつくられたということは、日本に帰ってきてから知った。
この村を訪れたのは、6月の夏真っ盛り。平地では35度超という暑さだった。海抜の高いこのあたりでも33度くらいはあっただろう。1時間ほどうろうろしたのちに、頭がくらくらしてきたので、村の中心にある広場のバールに駆け込んだ。下右の写真の広場である。あまりに暑くて喉が乾いていたので、バールの椅子に座って昼間からビールを注文する。
ところがである。結婚式のパーティがあったばかりだとかで、ビールがほとんど残っていないという。
「デーモンならあるんだけど……」と店のお兄さん。
デーモンといえば、ラベルに悪魔が描かれたアルコール度12%のビールである。
──うーん、デーモンは嫌いじゃないが、スカッと喉をうるおしたいだけなんだけどなあ……。
そう迷ったのも2秒か3秒のこと。「じゃあ、デーモンを1本!」と屈託のない笑顔で注文した私であった。ワインと同じくらいのアルコール度なので、ゆっくり飲めばいいのだが、ビールだと思うと、どうしてもぐいぐいと飲んでしまう。くらくらの頭とからからの喉に、12%のビールはかなりの刺激を与えてくれた。